ロシア兵墓地(泉大津市)

歴史・景観・自然・観光

シーパスパークの道路向かいの墓地にあります。

明治37年から38年に行われた日露戦争で捕虜となった方のうち、約3万人が浜寺公園から田中本陣あたりにあった収容所で暮らしました。

祖国に戻る前に、不幸にも病気等で亡くなられた方89名が葬られています。亡くなられた方の宗教などによってお墓の形が違います。国際条約に応じて、捕虜は丁重に扱われ、町民とも交流があったそうです。

お墓の形が違うのは、埋葬された方の宗教や母国が違うからです。他の国出身の人も、ロシアの為に戦争に参加しました。その人の宗教と国の言葉でお墓に名前が彫られています。

5カ国語で書かれたモニュメントがあります。中央には「死せるロシアの兵士たちに捧ぐ 旅順の戦友たちより」の記載があり、旅順で戦い捕虜となった戦友達が寄付を集めて建立したもの。

自然石を使った石碑は、大津村民の寄贈で設立されました。

七号に埋葬されている「ガリシュペイン・ハイム(エフィム)」は、イスラエル建国の英雄として有名な、「ヨセフ・トルンペリドール」の友人であった。そのため、イスラエルから「特別な人物が眠る墓碑であるので、周辺を柵で囲って欲しい」と要望が出され、柵で囲われていた。「ヨセフ・トルンペリドールは、旅順降伏により濱寺捕虜収容所に入り、准士官であったため、日本側と交渉にあたり、捕虜収容所内に学校・図書館・職業訓練校などの施設の開設、収容所内での新聞「エフイスカヤ・ジンジン」を発行するなどの活動を行った。イスラエル建国の指導者で「片腕の建国英雄」と呼ばれています。

今も、清掃などをされてきれいに保たれています。

1986年3月23日には慰霊祭が行われ、近くの上品寺には、在大阪ソビエト連邦共和国総領事館 総領事より送られた感謝状が保管されています。



参考文献など
  • 泉大津市教育委員会.おおつ物語第1集.泉大津市教育委員会,2005,P18
  • 泉大津市教育委員会.おおつ物語第2集.泉大津市教育委員会,2021,P16
  • 泉大津市教育委員会.泉大津の史跡と文化財.泉大津市教育委員会,1993,P12-P13
  • 泉大津市・泉大津市教育委員会・泉大津市制施行70周年記念写真集制作委員会.かわりゆくふるさと泉大津市の70年.泉大津市・泉大津市教育委員会・泉大津市制施行70周年記念写真集制作委員会,2013,P55
  • 泉大津市教育委員会・泉大津市立織編館.おほつ研究 Vol.11.泉大津市教育委員会・泉大津市立織編館,2018

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