泉大津市の歴史的なものと、石造物について載せていきます。市内には多くの歴史があるなと感じています。まだまだ知らないことだらけで、これからも歴史について学んでいきたいと思います。
道標(松ノ浜駅海側)
葛葉大明神への道を示す道標です。紀州街道が近いので、もともとは紀州街道にあったと考えられています。高石駅も、元の駅名は葛葉駅でした。古くから、葛葉神社への参拝や観光が多かったのかなと思います。
参考文献など
- 泉大津市教育委員会.おおつ物語第2集.泉大津市教育委員会,2021,P54
- 泉大津市教育委員会の方に教えて頂きました。
- 地域の方に教えて頂きました。
中和泉街道標(紀州街道と布引の道の交差点)
紀州街道と布引の道の交差点にある道標です。
参考文献など
- 泉大津市教育委員会.おおつ物語第2集.泉大津市教育委員会,2021,P55
ホウケンさん(宝篋印塔)
要池の近くにあった宝篋印塔です。地域の方からは、「ホウケンさん」の愛称で親しまれていたそうです。
城の山
紀州街道の大津川近くの山側に斉藤主膳の城があったとされています。石碑は紀州街道ではなく、堺阪南線沿いにありますよ。
助松墓地
泉州では、古くから海辺に埋葬する習慣があったそうです。昭和30年代の埋め立て前までは、高速道路のあたりが海岸線でした。北米原産の帰化植物ハマデラソウは、牧野富太郎博士が発見されました。海岸の埋め立て工事が始まったあと、見かけなくなりましたが、この助松墓地で自生しているところを発見され、現在保護されています。浜寺公園内でも見ることができます。運よく、ハマデラソウを再発見された方に直接お話を伺うことができました。ハマデラソウは日本では、高石市、泉大津市付近でしか見ることができないそうです。
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